歌は思い出と結びついている
人は若い頃聴いた歌に良い感情を持つらしい。
それは、歌とその頃の感情や出来事がリンクしているかららしい。
確かに、それは言える。昔、よく聴いていた歌は今でもよい歌と思える。
しかし、最近の歌もなかなかよい歌が多い。
限られた言葉で作られ、限られた音階で作られた歌が、いつの時代にもこんなに人を感動させる力がある。
人間の創造力というものは素晴らしいと思う。
それを歌いこなす歌手の人たちの力もすごい。
iphone メモの不具合
長年、iphoneを使っているが、これまで未経験の不具合に遭遇した。
標準で入っているメモ(アプリ)は、非常に気に入っているアプリだ。
icloudで同期できるので、iphoneとipad、macで確実に同期できていた。
だから、多くの情報を記録している。
そのメモがいつの間にか消えていた。フォルダは残っているが中に入っているメモが全て消えた。いつ消えたのかさえ気付かなかった。
しかも、そのメモは最重要なものを書き込んだものであった。
せっかくもしもの時に供え、クラウドに保存していたのに、消えた。
いくら端末が進化してもこういうことが前触れもなく起こる。
やっぱりアナログ保存がいいのだろうか。
なんとか復活できないか模索している。
ネットで検索すると、アップデートで消失する例が挙がっている。
最近、iosのアップデートが配付され、自分も適応した。それが原因か?
端末が複雑化して、アップデートで不具合が起こるとは本末転倒のような気がする。
でも、進化とはそのようなものかもしれない。複雑になることで、一部の書き換えが不具合を生じさせる。
統合型社会
中国が恐れていること、大国すぎて群雄割拠の歴史、まさしく覇権争い、クーデター。
だから、規制強化に走る。
一方、自由の意味を考えると、自由の裏には自制、良心が必要なはず。自由とは何でも許されると考える人々。謀略、暴力。権力者に利用される大衆。いわゆる民主主義の意義を理解せず、エゴイズムに走る人々。先頃のアメリカの連邦議会議事堂襲撃が、それ。
歴史の繰り返し、文明は発達するが、いつまで経っても人間の精神性は変わらない。人間は面倒くさい生き物だと思う。知を学び、徳を理解し、生きていく力があるはずなのに。滅びへの道を突き進むのか?
ある著名な児童文学者が語ったことがある。「自分の理想は縄文時代のような原始共産主義。人々が貧しくてもお互い助け合い、分け合って生きていた時代だ。」と。
クアデルノを買ってみた
クアデルノの価格が下がり、3万円台になったので買ってみた。
価格が下がり、評価も上昇傾向にあった。どんなに素晴らしい端末なのかと使いたくなった。
結論からいうと、初日で買ったことを後悔した。
まず、付属していた紙1枚の取説に大事なことがほとんど書かれていない。
設定前に充電しようとケーブルをつなぐと、電源をいれた覚えがないのに設定しろと表示される。
設定に進もうとすると、今度はPCが必要だと表示される。PCのない人はそれ以上進むことができない。
幸いPCを持っているのでなんとか次のステップへ。
ペンを設定しようとすると、ペンが充電されていないので反応なし。それで、仕方ないので端末の充電ケーブルを引き抜いて、ペンの充電をした。今度はペンの充電レベルが足りないと表示される。
面食らいながら、なんとか少しずつ前進し、設定も終わり、ペンの使い心地を試してみた。
曲線が、磁力に引きづられるように直線化する現象が多々みられた。正直、がっかりした。3万円もしたのに。
現在、フリーノを使っていて、大変気にいっている。クアデルノに浮気したのがまずかった。
操作の簡便さ、ペンの使い勝手、フリーノの方が数段優れている。
クアデルノの商品紹介画面を分析してみると、会社で書類をPDF化し、クアデルノに取り込んで、社外へ持ち出し、仕事をし、帰社してPCとクアデルノを連携させ、確認するなどのシーンがある。
クアデルノはPC前提、PDFの操作を中心とした対象ユーザーをターゲットとする商品なのである。
フリーノはメモ帳であり、ノートである。どちらかというと個人的な情報を記録する人を対象ユーザーとしている。
従来のアナログなノートに変わるものをイメージしている私にとって、フリーノの方が使用意図にあっているのである。
クアデルノはこのままお蔵入りかもしれない。高価な無駄遣いだった。初日で気持ちの萎える商品は久しぶりだった。
1歳児について
1歳半の幼児と過ごす機会があった。
その子は一瞬一瞬を全力で生きている。
常に、動き、自分の興味のあることに向かう。
時に、その興味は次の瞬間には忘れ去られることもある。
自分にとって、おもしろいことがあったら笑い、注意されたら床に伏せって涙を流す。
自分の行動の危険性の認識もない。
いつもそのときを全力で動き、行動する。
命の輝きをみる。
まぶしく、かわいらしい。
2021年
新しい年が明けた。
今年がよい年でありますように。
よい年の定義
・自分が健康であること
・家族が健康であること
・旅行を2カ所くらいすること
・最低限の生活ができるくらいの金を稼げること
・幸せを感じられる出来事が多くあること
・感動できる本や音楽、映像を見つけられること
こんなとこかな。
コロナ支援について
東京で、深夜バス停で仮眠していた女性が殴られて亡くなった事件があった。
それに関係して記述されたweb記事を読んだ。
女性のホームレスが増えているという。女性のホームレスたちは、夜の安全を考えてファミレスなどでドリンク代だけで仮眠することが多いのだそうだ。ところが、コロナ対策の時短営業で深夜営業自粛のためファミレスが店を閉めてしまい、女性のホームレスの行き場がなくなり、深夜のバス停等で夜を過ごすようになったとのこと。
現在のコロナ対策の支援金は宿泊業者や飲食店ばかり優遇されているように思える。
確かに、宿泊業者や飲食店の背景には地域経済が繋がっており、その関係業者へも支援金がまわるのだといういう論理は理解できるが、果たして、コロナの影響を受けて生活ができなくなり、ホームレスにならざると得なくなった人たちへの支援は十分なされているのだろうか。
じゃあ、このようなことを書いているジブンは何か行動を起こしているのか。
行動をしなくては何も変わらない。たとえ、大河の一滴でも。
順送りの命
人生は順送り。やがて、役割を終えて、次の世代に渡さなければならない。殊更に、生にしがみついてはならない。毎日が最期の日だという覚悟をもって、悔いのないように生きたい。