未知のできごと
今年はコロナの年だった。
まさしく人類史上稀にみるできごとだろう。
世界中の国で対応に苦慮している。みな暗中模索である。
政府や官僚の方々もできるだけ最善を尽くしている。
それを後から批判する人たちもいる。
対策についての感じ方は十人十色で賛成する人もいれば、立場によって反対する人もいる。
それは仕方ないことである。
正解はない。なにせ未曾有のできごとなのだから。
マスコミは、殊更に反対意見を切り取っているように見える。それは、マスコミが「炎上」を煽っているように思える。すぐ、補償がどうだとかという論調になる。
もっといろんな立場の人に対してあたたかい眼差しを向けられないだろうか。
健康診断の苦い思い出
何年か前、ある大きめの病院で健康診断を受けた。
若いドクターであった。
「血液の値が高いけど、どこか病院に行っているの?」
「行ってます。」
「薬をもらってるの?」
「もらってます。〇〇と〇〇です。」
「治療してるんなら、なんで健康診断にきたの?」
「・・・」
こんなドクターもいる。
唖然とした。
健康診断担当のドクターにあるまじき発言ではないか?
「この若造が!」と正直思った。
あの人は今、どこかの病院でまだドクターをしているのだろうか。
勉強しなくていいんです
昔、ある人から言われた言葉である。
その理由は、以下のようであった。なるほどそういう考えもあるのかと妙に納得してしまった。
「へたに勉強すると、会社とか大学とか遠くに行ってしまう。
自分の子どもが可愛いので、手元に置いておきたい」
というのである。
私の住んでいる所は田舎である。高齢者が増え、若者は都会に出ていく。
人口が減り、空き家が増えた。
県内のある地区では、もう何十年も前から中学を卒業すると、遠い町の高校へいくために親元を離れるといわれており、中学の卒業式は真の涙の卒業式となるらしい。
ま、勉強しなくても若者は街へでていくとは思うが。
クラウドファンディングの怖さ
クラウドファンディングは画期的な製品が多い。見るのも楽しみである。つい、支援したくなる。
去年から、クラウドファンディングでいくつかの製品を注文した。
製品が送られてきたが、全く使えないものもあった。デジタル系の製品で全く動作しない。しょうがないと諦めた。
製品が1年以上送られてこないものもある。そのクラウドファンディングサイトでは保険をかけられるということを売りにして、未履行の場合80%の金額が保険で支払われるとしている。
納品予定が約7ヶ月過ぎた頃、サイトの運営者に保険の適用を打診した。
回答は、当事者間での解決を求めるものであった。
保険というのは、ただの「釣り」言葉かと思った。それを信用して、乗ってくる輩を集めようとしているとしか思えない。
もちろん、出品者にもメッセージを出したが、なんの回答も得られていない。
納品予定から13ヶ月が過ぎた。未だに、製品は送られてこない。お金も戻らない。
だまされた私が悪いのだが、出品者にだまされ、サイト運営者にもだまされ、釈然としない。
その出品者は東京の会社を語った外国の会社であった。
サイトは、日本でも結構有数のクラウドファンディングサイトである。
私のような日本人はリスクに対する危機意識が低いのだろうと思うが、残念だ。
推しはかる力
思い込みで勘違いすることがある。
その気がないのに、その気があると思いこんで気持ちがざわつくこともある。勘違いだとわかると、ホッとしたり、落胆したりする。
やはり、独りよがりではなく、事実を分析し、客観的に状況を考察しなければならない。
他人の気持ちを推しはかることは難しい。
ということは、相手の気持ちを理解することは大変高度な技術を要することである。
思いやる・・相手の身の上を知った上で、相手の気持ちを考えて配慮すること
忖度・・相手の状況を考えて気持ちを押しはかり、相手が心に留めている本音を察すること
普通と常識
普通とは多数派のこと。多数派のやっていることが常識になる。
子どもがよく「みんなもっている」と言うのは.多数派工作である。周りの多数派の状況を常識へと転化しようという試みるが、見えている多数というのがクラス内とかなので、それが大人の見えている多数とは異なるので常識にはならない。子どもの常識と大人の常識では、見えている視野の大きさによって差異が生じる。
しかし、今のコロナ禍の中ではマスクをするのが圧倒的多数なので、それが普通であり、常識となる。
混乱と分断
詳しいことは不明だが、とある国の大統領が、デモをする国民に対して軍隊を出動させたらしい。
その国のある軍経験者は、軍隊が自国の国民に対して、行動を起こすことはあり得ないと語ったことがある。
その国のシステムでは、大統領を選んだのは国民である。
今回の事例だけでなく、まさに、混乱と分断。自己利益の追求。
他国との関係のみならず、守るべき自国の国民に対して、軍隊を使った暴力で制御しようとする考え方は、歴史上あり得ることではあるが、この世界的な危機的状況の中で自国民をも分断しようとする指導者。
誰も止める人がいないのだろう。戦争に突き進んだ過去の日本に似ている。
情けない国だ。最近、そういう奢りの感情を前面に出す指導者が多い。
人類は、このまま終末期へ突き進むのか?
平和な世の中なんて、夢のまた夢か?
真実はどこにある
最近、ある事件があり、その親族があるコメントを発表した。
まっとうな意見であるが、違和感を感じた。
被害者は一人暮らし。情報によると福祉のサポートを受けながら暮らしていたようである。また、本人は自分の考えをPCに綴っていたようである。
親族はそんなことは聞いていないと答えていた。
じゃ、なんで一人暮らしをさせていたのか。
なぜ、親族が付いていなかったのか。
金銭が絡んでいたようであるが、被害者の金銭を他人に支払ったということに怒って、それをカモフラージュしているような気がしてならない。
表面だけでは人の心はわからない。
日頃の態度、日常の接し方など総合的に考えてみる必要があると思った。